2.1997年 別のユカさん
2.1997年 別のユカさん
1995年、長野の高校を卒業して、東京の製菓学校に通うため上京しました。学校の近くにアパートを借り、電話を引きました。電話番号は、東京なのに市外局番が03ではなく、わたしは少しだけがっかりしました。
2年間で専門学校を卒業し、なんとなくすぐには就職できず(モラトリアムだったのです)、20歳のわたしは喫茶店でバイトをしながら、東京に馴染むための日々を送っていました。夏に長野に帰省し、大阪の芸術大学に進学した先輩に再会します。先輩の名前は「ユカさん」と言います。わたしの通っていた高校は元女子校で、わたしが入学した当時は男女比が1:4でした。ユカさんは高校時代から大人びていて、『女子校の王子様』のような人でした。例に漏れずわたしも憧れていたのですが、大阪に行って更に垢抜けてエロかっこよくなっていて、話すときに緊張してしまうぐらい大人の女性になっていました。わたしの高校時代のバイト先であるピザ屋のようなバーで再会したのですが、そこで知人から「なんかユカさん、おまえなんかのことがお気に入りらしいよ」とふてくされて告げられました。ユカさんから「大阪あそびけーへん?」と誘われ(ユカさんはすっかり関西弁を身につけていて、それもまたかっこよかった)、ユカさんの下宿へ遊びに行くことを決意しました。
高校時代、わたしは友人から「おかま」とからかわれるぐらい、女の子になることを目指していました。私服高校だったのですが、ボーイッシュな女の子のような格好をしたくてオーバーオールを着てみたり、ヴィジュアル系バンドに誘われてからは髪を伸ばして後ろで結び、黒で襟元の開いた鎖骨の見える服を着たりしていました。お酒に酔った同級生がふざけてキスをしてくることも満更でもなく思っていて、その友人に彼女ができたときには「オレのほうが可愛いのに!」と嫉妬したりしていました。
そんなわたしでも彼女はいました。ただ、高校生の恋愛、携帯もインターネットもない時代の田舎の町です。今のようにジェンダーも分類されていなかったので、わたしは「わたしは女の子になりたいのに女の子のことが好きなのはおかしいんじゃないか。男の子を好きになるのが普通なんじゃないか」とよくわからない悩みを抱えていました。彼女から男を求められたときに、自分の中から男をどう出力すればいいのか全然わからず、周りの友人の見よう見まねで、でもそれが全然上手くできず、付き合いは長く続くことはありませんでした。きっと今の時代にわたしが若者だったら、「男の娘」になり、お化粧して可愛い格好して、インスタに自撮りをアップしていたと思います。
それを見かねたリーダー格の友人が、卒業間近に、とても経験豊富な女の子をわたしに紹介してきました。今思えば、この友人はわたしが「男にならない選択をする」ことを本当に心配していたんだと思います。男らしい友人でした。この古き悪しきホモソーシャルのしきたりのようなものを、今では余計なお世話と思う人もいるでしょう。でもわたしは、女の子に導かれるまま長野の繁華街のラブホテルへ行きました。緊張して全然上手くいきませんでしたが、わたしも女の子も、友人の顔を潰さずに済んでほっとしていた気がします。
そんなわたしが、ユカさんの下宿に遊びに行きます。一度東京に戻ってから、新幹線で大阪へ向かいました。新幹線の中で読むために、大阪出身の喫茶店のバイト仲間が「たぶん絶対好きだと思う」とおすすめしてくれた、中島らも「白いメリーさん」の文庫本を買ったことを覚えています。たぶん新大阪駅で待ち合わせをしたんだと思います。わたしはまだ携帯電話をもっていなくて、ポケベルだったのか、あるいはPHSを持っていたのか、記憶は定かではありません。ユカさんの下宿に着き、テレビをつけると吉本新喜劇がやっていて、ああここは大阪なんだなと感激しました。ユカさんの部屋で煙草を吸い、ユカさんが撮ったという写真を見せてもらうと、そこには半裸でベッドに座るユカさんの写真もあって、どぎまぎしました。遊びに行って何泊かしました。
ユカさんの芸大での友人の女の子たちが複数人で一軒家を借りで住んでいて、そこでケーキを作ったりもしました。ユカさんは誇らしそうに「な? かわいいやろ?」と友人たちに言っていました。ユカさんは過剰にわたしを「かわいい」と言ってくれた人で、女の子同士のコミュニケーションで、お互いをかわいいと言い合うあの感じだと思っていました。たぶん3泊ぐらいしたんだと思います。わたしは楽しくて、特別扱いされていることがうれしくて、その楽しさと特別扱いが壊れてしまうような気持ちだったのかな。今思い返しても完全にバグってるんですが、自分のことを女子校の王子様に対しての「百合要員」だと思っていたんだと思います。ユカさんに何かをすることができませんでした。(このときのわたしが、「百合に挟まる男は死刑」という価値観を知っていたはずがないのですが、本能でたぶんそれを感じ、女性の人格のわたしとユカさんの関係を、男性の人格のわたしが邪魔することが許せなかったのかもしれません。)
東京に帰る日、一緒に京都を観光しました。知恩院の男坂・女坂、銀閣寺の哲学の道。中学の修学旅行で行った場所が、全く別の場所のようでした。銀閣寺で、ユカさんが「一緒に写真撮ろ」と言い、わたしは軽い気持ちで「えー、いいよー(否定の意)」と答えると突然ユカさんは怒り出し、口をきかなくなりました。無言のままバスに乗り、京都駅に着き、ぴかぴかの駅ビルの前で最後にユカさんが「こんなの造って京都の景観が悪くなるからって、銀閣はここのホテル泊まってる人は入れません、ってやってるんだよ」と言いました。
帰りの新幹線、わたしは「白いメリーさん」のページを、頭に言葉が一言も入ってこないままめくり続けていました。「白いメリーさん」には「ラブ・イン・エレベーター」というすごく短い短編が収められています。それは、東京へ戻るわたしの心境そのもののような物語でした。東京に戻ったらちゃんとケーキ屋に就職しようと思いました。
30年前のこと、今のゆかさんとは別のユカさんとの話です。

(「白いメリーさん」はもちろんnicolasにあります。今奥付を確認したところ、1997年8月15日に第1刷発行と記載されていました。「ラブ・イン・エレベーター」はコーヒー1杯飲むあいだに読み切れるぐらいの短い物語です。よかったら読んでみてください。)
2026/03/03 14:04 | Category:Nibiiro
