『死者のテロワール』曽根雅典 Deterio Liber

曽根雅典『死者のテロワール』出版のお知らせ

【発売中です】

曽根雅典『死者のテロワール』

装幀・写真 : 横山雄
編集:橋本竜樹、カワイアミ
発行:デテリオ音楽事務所
協力:曽根由賀

取り扱い店舗一覧
※取り扱い書店のオンラインショップでも購入できます。

推薦コメント一覧

『死者のテロワール・オリジナルノベルサウンドトラック』

なにとぞよろしくお願いいたします。

15周年

15周年

 5月1日、nicolas15周年です。ほんとうに、こころからみなさんに感謝します。ほんとうに、ほんとうにありがとうございます。

 nicolasはこの先どうするんですか、とよく聞かれます。
「どうする」というのは、どうにかする選択肢(やお金)がある人のものなので、どうするもこうするも、nicolasには2択しかありません。需要がなくなって閉店するか、わたしかゆかさんが倒れるまでやるか、そのどちらかです。そこに至るまであと何年あるのか、それはわかりません。どうこうできるものでもない気がします。永く続いている諸先輩方のお店を、ほんとうにすごいな、と思っていたのですが、たぶん多くのお店はうちのこの状態と一緒なのかもしれないな、と思うようになりました。

 nicolasは15周年、ゆかさんと結婚して20年、わたしは50歳になります。まだ若いくせに何を大袈裟な、とお思いになるかと思いますが、ほんとうに、「ああ、終わるな。よく頑張ったな」と、人生に執着がなくなっていくのを感じています。ここまでの物語はいったん終幕です。(ある日突然世界が終わってもおかしくない、それを震災やコロナ禍などで感じてきましたので、伝えられるうちに全てを伝えて、ちゃんと物語を完結させておこうと思いました。ひとつの物語は終わりますが、まだ別の物語は続いていますし、新しい物語も始まるのかもしれません。)

 2年前に、小説を出版していただきました。その小説は、2061年、わたしがもういなくなったあとのnicolasが舞台の物語です。書いたときはコロナ禍で、2020年頃の当時の視点から、未来を創作して書きました。現実のnicolasの二次創作のような未来です。
 出版以降、ときどき、わたしがいなくなったあとの2061年のnicolasから今を見ているような感覚で、現実を生きているときがあると気づくようになりました。あの物語のあの場所から見た過去を、わたしは生きている。わたしがいなくなったところから、ひとごとのようにわたしはわたしを見ています。

 友人たちの子どもは、成人したり、大学を卒業して就職したりするような年頃になりました。30年前、上京してわちゃわちゃしていたあの頃のわたしと同じ年齢です。もしわたしに子どもがいたら、わたしが父を嫌ったぐらい嫌われていたと思います。
 友人たちにはそのうち孫ができて、おじいちゃんおばあちゃんになるんですね。子や孫がいる人たちは、しっかり人生に執着できている人が多い気がしています。わたしは田舎の母に、申し訳なかったな、とすごく思うようになりました。

 わたしは、自分の父親のことが心の底から嫌いでした。父はコロナ禍中に亡くなりました。父がいなくなったことによって、やっと、わたしは息子の自我を手放すことができました。
 わたしの父は、父親なんてものに最も不向きな人でした。あんな人でも父親をやらなきゃいけなかったんだな。父の頃はそういう時代だったと思うし、時代に抗えるような強さを持っていなかった人だったと思います。
 わたしは、たまたま運良く上手くいってしまっただけの人です。だから、うまくいかなかった人たちの側に立てる人でありたいとずっと思っています。それなのに、いちばんうまくできなかった人を見つけてあげられなかった。父が父をやらずに、息子のままで、夢をこじらせてnicolasのカウンターに来ていたら、きっと仲良くなれたかもしれない。父のトラクターが置かれた実家の物置には古いラジカセも置いてあって、もしかしたら父は、畑仕事をしながらベートーベンの『田園』でも聴いていたのかもしれないな、なんて思っています。

 わたしたちは親にはなれませんでしたが、それでもその代替品のようなことを、nicolasでの15年で少しはできたのかな、とも思っています。無責任な偽物にしかできないこと、紛い物だからこそできることもあると思っています。
 仮初めの息子や娘たちは、毎年のように増えて、今でもお店に来てくれています。それは、ほんとうにありがたいことです。できることならこの先も、この子たちがもし、成功できなかった、夢がうまくいかなかった、なりたかったものになれなかったとしても、それでも居ることができる場所でありたいと思っています。
 
 ほんとうはわかっているんです。nicolasは、過剰な愛をもらったんです。それは親のような愛です。みなさんのその過剰な愛のおかげで、わたしたちは15年続きました。普通の2人が普通のまま15年。それを同じように過剰に、あの頃のわたしたちのような人たちに渡していきたいと思います。この先ももう少し。

 執着がなくなってきて、初めて「愛」のことが少しだけわかってきた気がします。言語化はほんとうに難しいし、した途端に違うものになる気がしています。ああ、これか、これのことだったんだ、と感じるようなもの。五感の感覚が鈍ってきたおかげできっと、愛の気配を感知しやすくなったのだと思います。

 愛をありがとう。ほんとうに幸せです。あまりに多くもらいすぎてしまったので、もう少し生きて、ちゃんと返さなきゃと思っています。
 もう正解の人生に固執する必要もないですし、かといって、道をそれた生き方に居直ることもしません。ただ、目の前の人たちと日々を生きていくだけです。

 今後とも、何卒よろしくお願いいたします。

nicolas 曽根雅典 曽根由賀


(写真 須田洋次郎)

『クロエ』MV

『死者のテロワール・オリジナルノベルサウンドトラック』より
『クロエ』MV‐Mao Otake

Director:Yojiro Suda
Starring:Masanori Sone・Yuka Sone

9. 『茶番も15年、続ければ王道。』

1.Sai River

2.1997年 別のユカさん

3.吉祥寺(の駅から徒歩25分の練馬区) 

4.食の記憶

5.セガフレード・ザネッティ

6. 認知について

7.1996年のゆかさん

8.父の足

9. 『茶番も15年、続ければ王道。』

2月後半から毎週火曜日に更新してきた連載ブログ
『鈍色が眩しすぎて目を開けていられない』
は、来週の第10回、15周年のブログで完結です。
来週のブログは火曜日ではなく、5/1の金曜日に公開となります。
長々とお付き合いいただいてありがとうございました。

第9回の今回は、
過去に連載させていただいていたコラム、
この物語のスピンオフになるのような過去のブログ、
nicolasが発行していた『Nicome』という小冊子、
nicolasのこれまでの周年ブログなどをまとめました。
お時間あるときに読んでみてください。

料理歳時記

Nicome PV

暁の戦力外部隊

7周年

一人の男が飛行機から飛び降りる

愛をとりもどせ(10周年)

憧れを超えていけ。(12周年)

『茶番も15年、続ければ王道。』

nicolas 13周年

この先(14周年)

番外編 曽我部恵一『幻の季節』PV
※2006年頃のゆかさんが出ています。2人目の女の子です。

5月のお休みのおしらせ

5月のお休みのおしらせです。

1(金)
2(土)18:00~open
5(火)
12(火)
19(火)
20(水)
26(火)

5/1(金)は
『nicolas15周年 山田俊二Trio』
のため、通常営業はお休みをいただきます。

曽根雅典『死者のテロワール』発売中です。
取り扱い書店と、その書店のオンラインショップでも購入できます。
『死者のテロワール・オリジナルノベルサウンドトラック』も配信しています。

よろしくお願いいたします。

8.父の足

1.Sai River

2.1997年 別のユカさん

3.吉祥寺(の駅から徒歩25分の練馬区) 

4.食の記憶

5.セガフレード・ザネッティ

6. 認知について

7.1996年のゆかさん

8.父の足

 わたしの父は、大学のときにオーケストラで海外へ行った、というのが一生の自慢で、常に周りを見下して生きているようにわたしには見えました。人付き合いが絶望的に下手で(それは当時の田舎では致命的でした)、仕事を転々と変え、最終的には自動車の部品をつくる工場に落ち着いていました。わたしが思春期の頃です。
 父は仕事から帰ってくると汚れた作業着を洗濯機に入れ、自室に籠ってクラシックを聴いていました。わたしが夜中にトイレに起きると台所にひとり座っていて、「あんなバカなやつらとは話にならない」と言いながらNewtonを読んでいたり、「木曽の曽に、根っこの根です」と、面接の受け答えの練習をしていたりしました。幼心に「こいつあかんやつや」と思っていましたが、今思えば父はこの頃40代、今のわたしより年下です。そんなもんだよな。携帯もインターネットもない時代の田舎の町で、周りの人の見よう見まねで、でもそれが全然上手くできず、それでも父親をやったんだと思います。
 音楽やってたインテリ青年が、レールに従って見合い結婚し、挙げ句、息子はおかまで娘は視覚障碍者、そりゃ無理ゲーってものだと思います。

 コロナ禍中、父は大病を患います。半年で、あっという間に亡くなりました。コロナ禍だったのでずっと面会ができず、やっと面会できるようになったのは、病院からホスピスへ移り、もう延命治療を一切しない状態になってからでした。父は薬で昏睡状態でしたが、ホスピスの方が「息子さん来ましたよ」と声をかけたら一瞬意識が戻り、わたしを見て「ゆっくりしていけよ」と言いました。(わたしはバカだからいい歳してコロナ禍のとき髪を青く染めていて、父が最後に見たわたしは青い髪をしていました。)
 父が元気だったころ、わたしが帰省すると必ず父は「いいだろう信州の自然は。ゆっくりしていけよ」と言っていました。三島由紀夫の『美しい星』なんか読んで小賢しくなったわたしは「自然はおまえの所有物じゃねえよ」と悪態をついていました。
 ゆかさんが、ベッドに横たわる父の足をみて、「足の裏、一緒だね」と言いました。父の足の裏なんて初めて見ました。親指の爪は巻き爪で変色していて、小指の付け根には大きくて分厚いウオノメがありました。飲食業でずっと立ち仕事をしてきた、わたしの足と一緒です。なんだ、からだを使って一生懸命生きた人の足じゃないか。

 父はリタイアしてからも、介護の仕事をしたり、高速道路の料金所の仕事をしていたそうです。普段は家の前にある小さな畑で、さつまいもやトマトを作っていました。病気が見つかる直前に、「もう少しちゃんと畑をやる」といって小さなトラクターを買ったばかりでした。祖父と父は全く似ていなかったけど、父もよく麦わら帽子を被っていた気がします。父は祖父に憧れていたのかもしれないな。祖父は、軍隊でラッパを吹いていたそうです。
 父はさつまいもを何度かnicolasに送りつけてきて、その不細工で不揃いなさつまいもで、わたしはニョッキを作りました。ニョッキはめんどくさくて、「もう二度とやらない」と、わたしは強く思いました。

父だけは、けっきょく一度もnicolasには来ませんでした。

7.1996年のゆかさん

1.Sai River

2.1997年 別のユカさん

3.吉祥寺(の駅から徒歩25分の練馬区) 

4.食の記憶

5.セガフレード・ザネッティ

6. 認知について

7.1996年のゆかさん

 1996年、製菓専門学校2年生のとき、研修旅行でドイツ・フランスへ行きました。初めての海外旅行、立川でパスポートを作りました。

 いきなり話は逸れますが、この専門学校の学費、研修旅行の旅費、あとは毎月の仕送りを、自動車の部品をつくる工場で働く父と、音楽教師の母が工面してくれたんだな、とあらためて思います。自分を裕福だと思ったことはないけど、それでもけっこうなお金をわたしに使ってくれてたんだな。今nicolasにきている親をやっているお客さんたちと話すと、毎年とんでもないお金を子どものために稼いでいて、ただただ、ほんとうにすごいと思います。それにひきかえ、うちは毎日よぼよぼになるまで働いて2人食ってくのに精一杯で、不甲斐ないし、なんだかとても申し訳なく思います。

 閑話休題。
 まずドイツから。ドイツパンの実習をしたあと、ハイデルベルク城の観光をしてホテルへ。12月の前半だったと思うのですが、ホテルの前の広場ではクリスマスマーケットが開催されていました。それがあまりにもイメージしていた通りの外国だったので(ハウス名作劇場のような)、うれしくて友人と散策していました。メリーゴーランドとかあった気がします。クリスマスマーケットには屋台も出ていて、その中にホットワインを売っている屋台がありました。ちゃちな陶器のマグカップに入ってワインが売られていたのですが、どうしてかわからないのですが、わたしはそのちゃちなマグカップがとても欲しかったんですね。わたしはお酒が飲めないし、友人は「別にいらない」という顔をしている。そこにゆかさんが通りかかりました。
 ゆかさんには当時彼がいて(haruka nakamuraに似た可愛い男の子でした)、だから当然ゆかさんは彼と一緒にマーケットを散策していたのですが、わたしはゆかさんに「カップ欲しいから買いたいんだけど、ホットワイン飲んで」とお願いします。果たして、わたしはホットワインを買い、ワインをゆかさんに飲んでもらい、念願のちゃちなマグカップを手に入れます。マグカップには
「25 mannheimer weihnachtsmarkt 1996」
という文字とクリスマスの町並みが描かれていて、この盛大なクリスマスマーケットが25周年だったということを知りました。このときはたちだったわたしが生まれる前から続いているクリスマスマーケット。そのマグカップはその後もずっと大切にしていて、一度割ってしまったのですが金継ぎをしてもらい、今もnicolasにあります。

 フランスでは、ワイナリーの見学(まだワインには一切興味がありませんでした)、エコール・ルノートルでのフランス菓子の実習、レストランではテーブルマナー講座を受けながらコース料理を食べました。
 この頃のわたしはまだ、フランスに特別な憧れはなく、だからもちろんパリのカフェ文化なんて知る由もなく、自由行動のときもパリのマクドナルドに行って「チーズバーガーセットください」と言ったらチーズバーガーが7個(sept)出てきて、「いいネタが仕込めた」と喜んでいました。

 わたしとゆかさんは他愛もない会話をするぐらいの間柄でしたが、1996年のハイデルベルク城の橋の上で撮った写真やクリスマスマーケットで買ったちゃちなマグカップが今手元にあり、不思議な気持ちがします。
 ただの、研修旅行でのクラスメイトとの写真ですから、わたしには感情まで思い出せるような記憶はほとんどなく、ただ「写真が残っているからそうだったんだな」という事実を確認しているだけです。この頃のことは、わたしよりもゆかさんのほうがよく覚えています。「たぶん、わたしちょっと好きだった」と言っていて、記憶を捏造しているような気もしますが、覚えているんだからたぶんそうだったのかもしれません。ふたりでよく、「どっちのほうがかわいいか合戦」をしていたような記憶があります。(いや、これももしかしたらゆかさんの記憶かもしれない。)

 パリに憧れた女の子を好きにならなかったら、パリのこともカフェのことも、きっと好きになんてならなかった気がします。2006年の秋にゆかさんと結婚して、2度目のパリへ行きました。そのときには、ドゥマゴへ行ってタルト・タタンを食べて、サダハル・アオキへ行ってリュクサンブール公園を散歩して、ピエール・エルメへ行ってエクレアを食べながら歩いて、ビストロへ行ってスープ・ド・ポワソンを食べて、ムール貝を食べて、仔羊を食べて、ヴァンヴとクリニャンクールの蚤の市へ行って、カトラリーを買って、焼き栗を食べて、名前も覚えていないいくつものカフェに行って、わたしはカフェオレを飲んで、ゆかさんはワインを飲んで、トレンチコートを着てセーヌ川沿いを歩いてくるくる回ったりしました。わたしはパリのことを愛してるような顔をして、10年前には何も知らなかったくせに。(この頃にはもう、お菓子のケータリング・ユニットとしてのnicolasは誕生していて、「いつか自分たちのカフェをやるときにお店で使おう」とか言いながら蚤の市でカトラリーを買いました。今nicolasで使っているカトラリーのいくつかは、このときのものです。)

 海外旅行はこのあと1回だけ、nicolasを始めて2年目の夏にフィレンツェに行きました。その後はそんな余裕はなく、すっかり忘れていてパスポートも失効してしまいました。
 いつか、死ぬ前に、もう一度パリに、今度はローマに、でも、やっぱり、マンハイムのクリスマスマーケットに、もう一度行きたいな。

 30年前&20年前の、今のゆかさんとの話でした。

6. 認知について

1.Sai River

2.1997年 別のユカさん

3.吉祥寺(の駅から徒歩25分の練馬区)

4.食の記憶

5.セガフレード・ザネッティ

6. 認知について

 最近考えている「認知」について書いておこうと思います。

 私は今年50歳になります。飲食業の人間としては、もともと体力に自信がなく、コツのようなものを掴んでなんとかやってきました。
ここのところ、思うように身体が動かず、イライラすることが増えてきました。自己嫌悪のような感情です。その状態で、「なんで怒ってるの?」と言われると、「いや、これは怒るという感情ではなくて自分に苛立っているんだ、この状態を形容するのに、怒るという言葉は的確ではない」と、怒ってしまいます。ほんとにしょうもないですね。

 認知の最初の歪みは、「他意のない言葉に悪意を感じてしまう」というケースが多いと自分は感じていて、翌日よくよく考えてみると、ああ、あれはそういう意味じゃなかったのかもしれない、と反省することがよくあります。今まで負の感情は、理性でなるべく抑えるようにしてきました。その理性のストッパーが緩んできているんだな、と自覚しています。

 親も高齢になってきて、「あ、少し認知があやしくなってきたな」と、話していて感じることも増えてきています。人生の残り時間が少ない人と話していると、ここからあとはできるだけ自分に正直で居たいという感情はとてもよく理解できます。言葉の精度も、少しいい加減なまま話をしていて、それはもうそういうものだと思えます。
 そして、「素晴らしい人生だった」と「しょうもない人生だった」が嘘偽りなく両立することもわかるようになりました。いい認知、いい記憶のまま終わることができたら幸せだけど、最後はどうなるのかはコントロールできるようなものでもないですしね。

 高齢者の比率が高くなった社会というのは、感情制御のストッパーが効きにくくなっている社会なんだと思います。
 これまで私は、言葉を大事にしてきたと思っています。でも、これからは少し言葉をゆるく捉まえたほうがいいのかな、とぼんやり考えています。(それはもしかしたら、AIの言葉・自動翻訳の言葉などの、正確ではない言語の文字列を見てなにを言わんとしているかを判断するときのゆるさ、に近い感じかもしれません。)

 あんなに楽しくて、夢みたいで、大好きだったことを忘れたくないな。でももう、実はほとんど忘れてしまっているのかもしれない。断片を繋ぎ直して、全く違う記憶を思い出しているような気もします。

 もう、わたしの記憶なのかゆかさんの記憶なのか、わたしにはわからないんです。

nicolas15周年 山田俊二Trio

nicolas15周年 山田俊二Trio

来る5/1(金)、nicolasは15周年を迎えます。
この日は通常営業はお休みをいただき、
山田俊二Trioのライブを開催します。
山田俊二Trioは
山田俊二(Piano)
服部将典(Contrabass)
ハラナツコ(Sax)
のお三方です。

ライブは投げ銭です。
21:00~
23:00~
の2回、各回40分ぐらいの演奏です。

よかったら演奏を聴きに、nicolasのお祝いに来てください。
お待ちしてます。

『nicolas15周年 山田俊二Trio』
日時 5月1日(金) 21:00~/23:00~
出演者 山田俊二Trio
山田俊二(Piano)
服部将典(Contrabass)
ハラナツコ(Sax)

投げ銭

※nicolasの通常営業はお休みです。

5.セガフレード・ザネッティ

1.Sai River

2.1997年 別のユカさん

3.吉祥寺(の駅から徒歩25分の練馬区) 

4.食の記憶

5.セガフレード・ザネッティ 

 お店という場について語ろうと思ったとき、nicolasという場がどういう場なのかということを言葉にしようとすると、どう語ってもnicolasという場が持っている本来のものとずれてしまいます。店側が、場を言葉にして規定すると、必ずそこから零れ落ちるものがでてきます。店に限らず、実はなによりその零れ落ちるものにこそ本質があったりします。良い場を維持しようと思ったら、「場について語らないこと」が最も重要だとわたしは思っていますので、nicolasという場について語ることはしません。(店側が「ここはこういう場です」と明言しないことによってしか維持できない事柄というものがあります。)
 そのかわりに、わたしがどんなお店(という場)を好んできたかについて、いくつか記していこうと思います。どんな飲食店の人でも、もともとは飲食店のお客さんですし、これからもずっとお客さんであり続けます。小説家の人だってずっとこの先も小説の読者でしょうし、映画監督だってこの先もずっと観客であり続けるでしょう。すべての表現者は観客であり続けます。自分がプレイヤーとして表現できるものと、オーディエンスとして好きなものとの乖離をどうするのか。そのためにはプレイヤーとして熟練していくことだけでなく、オーディエンスの自分の感覚を維持したり更新したりすることも必要だと思っていて、お店をするというのはそういうことだと思っています。

○セガフレード・ザネッティ

 セガフレード・ザネッティ(正式名称はセガフレード・ザネッティ・エスプレッソ。以下セガフレード)は、関東を中心に20店舗ほど展開しているイタリアンバールのチェーン店です。イタリアンバールというのは、イタリアでのカフェの一形態で、例えば、朝さっとエスプレッソだけを飲んだり、午後カプチーノを飲みドルチェを食べながら友人とおしゃべりをしたり、夜ワインやビールとともに軽いアンティパストを食べたりといった使い方ができる、王道のスタイルのお店です。

 わたしは、セガフレードにずっと通っていました。わたしが主に使っていたのは下北沢店と渋谷店(どちらも現在は閉店)で、ときどき中目黒店、二子玉川店(閉店)も使っていました。たぶん、すべてあわせて1000回以上セガフレードを訪れています。

・下北沢店
 2000年代の前半、20代半ばの頃わたしは下北沢の一番街にあるカフェで働いていました。カフェ・オーディネールという名前のお店で、わたしのカフェ観の根幹にあるお店です。
カフェ・オーディネールの営業時間は12時~24時。わたしはキッチンで料理をつくっていました。
 毎朝、開店前の時間で買い出しを済ませます。駅前のスーパーや輸入食材店、踏切横にあった八百屋などを回って12時までに店に戻りランチの準備をします。その買い出しの前に、下北沢にできたばかりのセガフレードに寄ってカプチーノを頼み、買い物のメモを見ながら今日回るルートや食材を決めていました。下北沢のセガフレードはほんとうにできたばかりだったので、店長の方がわたしにいろいろ話しかけてくれました。自分が近所のカフェで働いていることを伝えると、「どうしてカフェで働いているのに、毎日カフェにいらっしゃるんですか」といった感じのことを聞かれたことを覚えています。わたしは「オンオフは外でしたいんです」と答えたと記憶しています。(このオンオフを外で済ませてからお店の業務に入るというルーティンは、コロナ禍以降はもうときどきしかしていません。nicolasで事務作業をしたり、文章を書いたりする時間に充てています。ちなみにゆかさんは、仕事が終わったあとに必ずどこかに寄りたい人です。)
 カフェ・オーディネールは2年ほどで辞め、その後はいろいろなお店を転々としましたが、下北沢で映画を観たりライブを観たりお芝居を観たり、そういったときの前に後に、セガフレードを使っていました。
 
 2011年にnicolasがオープンして、再び下北沢での買い出しの日々に戻り、毎朝の日課が再びセガフレードに戻りました。あの頃から店長さん、店員さんは一新していましたが、ときどきヘルプで初代店長が店にいたりして、チェーン店とはいえむかしの自分を知っている人に会えるお店というのはうれしいものだな、と思いました。
 下北沢のセガフレードは、場所柄、役者さんやミュージシャンの方もよく利用していました。毎日見かける役者さんがいて、毎日同じ格好をしていて、こういうのを伊達男って言うんだな、なんて思ったりしていました。nicolasでライブをしてくれたことがあるミュージシャンに偶然会うこともありました。
 他にも毎日わたしと同じ時間帯に利用している常連さんがいて、犬を連れているなにかの社長であろうという方や、近所の喫茶店のマスターもときどき見かけましたし、店員さんといつもおしゃべりをしている方も何人かいました。
 コロナ禍に入り、今まで店内で喫煙できていたのが外のテラス席になり、常連さんの顔ぶれも少し変わってきていたように思います。下北沢の駅前は再開発の真っ只中で、区画整理のためにここが閉店することを店員さんから聞きました。移転ではなくて閉店だということ。真っ先に、毎日ここをコミュニティスペースとして使っていた常連さんたちのことが頭に浮かびました。
 日々会っていた名前も知らないあの人たちと、もう二度と会うことはないのかもしれないということ。奇跡のような偶然が毎日当たり前のように起こっていたこと。なくなったときにそれに初めて気づく、それがカフェという場だと、悲観的ではない感覚で強く思っています。

・渋谷店
 渋谷店は、2005年頃渋谷の文化村「ル・シネマ」でバイトをしていたときに毎日通っていました。早番のときは朝出勤前に、遅番のときは仕事後にカプチーノを飲んで煙草を吸っていました。朝はイタリア人のバリスタがいて、彼の淹れるカプチーノがほんとうにおいしかったことを覚えています。
 渋谷のセガフレードは3階建てで、初期は1階が喫煙フロアでした。1階のそのフロアには、道玄坂で仕事をしている夜のお仕事の方々、不良外人、渋谷で買い物をしてきた若い人たち、文化村でお芝居や映画を観るような文化水準の高いご婦人方、そしてわたしのような渋谷で働いている人、ありとあらゆる属性の人々が渾然一体となっていました。
 このときにわたしが感じていたことは、「ここはわたしに最適化された場所ではない。ここにお邪魔させていただいている。だからこそ、それが少し心地いい」というような、アンビバレントな感覚でした。ホームではないけれどアウェイでもない。普通に生活していたら決して交わらない人たちと場を共にして、ときには少しコミュニケーションもする。20代後半だったわたしにとってはとても貴重な体験だったと今あらためて思います。それこそ、文化村マダムたちは煙草を「呑む」と言って、とてもかっこよく煙草を吸っていらっしゃいました。憧れましたよ。
 映画館のバイトを辞めたあとも、下北沢店と同様に、渋谷での映画やお芝居の前後によく訪れました。後期は、喫煙フロアが3階になったことが大きかったと思うのですが、マルチ商法系の方たちがたむろするようになってしまって、少し残念でした。すべての人に開いた場というものは維持することはできない。必ずといっていいほどリソースにフリーライドする人たちが場を占拠する。理想は絵空事で現実をしっかりと見たと思っています。
 この頃から、喫煙と非喫煙が、飲酒と非飲酒がきっちりとゾーニングされはじめたように思います。仕方のないこと、あるいはなんてことのない棲み分けだと思うでしょうか。わたしは、店という場においてこれがいちばん大きな分断だったと、今でも思っています。

4月のお休みのおしらせ

4月のお休みのおしらせです。

7(火)
14(火)
15(水)
21(火)
28(火)

曽根雅典『死者のテロワール』発売中です。
取り扱い書店と、その書店のオンラインショップでも購入できます。
『死者のテロワール・オリジナルノベルサウンドトラック』も配信しています。

よろしくお願いいたします。