憧れを超えていけ。

5/1、nicolas12周年です。本当にありがとうございます。
東日本大震災から12年、オープンしてから干支が一周しました。私とゆかさんも12年歳をとって、あれよあれよと50がみえてきました。
この12年、インターネット上で飲食店を見れば、きれいな皿美しい皿が本当に増えました。ただ実際のところは、その膨大な美しい皿たちに埋もれてしまって、お店そのものや、人、その志、存在意義は見えにくくなってしまったように思います。ここ3年のコロナ禍もそれを加速させてしまい、多くのお店がなくなりました。

太子堂の商店街で、55年続いていた天ぷら屋さんが去年店を閉めました。今でも商店街でおいちゃんとすれ違うと「がんばれ」と声をかけてもらいます。茶沢通りで30年やってる居酒屋のマスターは、昨年末に体調を崩して毎年恒例の年始営業をお休みしましたが、こないだnicolasに飲みにきてくれて、以前と変わらない飲みっぷりを披露してくれました。奥の商店街のもうすぐ100年になるお蕎麦屋さんも、去年は年越しそばをお休みしました。
70歳になった神楽坂のフレンチの巨匠は「日本人が日本でフランス料理をやること、そのことの意味をずっと考えてきたけど・・・結局わかんなかった」と、こっそりうちあけるように話してくれました。
先輩方があまりにも偉大すぎて、12年なんてまだまだひよっこなんですが、上の世代に甘えていつまでも反抗期をやっているわけにはいきません。WBC決勝での大谷選手の声出しではありませんが、憧れ続けていたら憧れを超えることはできません。いつまでもルサンチマンをぶつける側をやっていないで、もうルサンチマンをぶつけられる側になる順番だということをしっかり認識しなきゃいけない。たいしてお金も儲かってないし、権威にもなれなかったのに(そもそもカフェの権威ってなんだ?)、そっち側をやらなきゃいけないの?とも思いますが、12年続いたことを成功だと思わなかったらそれはそれで傲慢だとも思います。

ところで、nicolasはカフェです。
2000年頃に東京で起こったカフェブームに大きく影響を受けています。その後は、19世紀から20世紀初頭のパリのカフェ文化へと憧れは移って、「日本人が日本でパリのカフェ文化をやること」をずっと考えてやってきました。たぶん、おそらく、それにどういう意味があるのかは、この先もわからないんだと思いますが。
nicolasは唯一無二だと思ってずっとやっています。いちばん最初は、イタリア料理とフランス菓子と日本の喫茶店を全部やるんだ、と意気込んでいました。それは今も変わっていません。コーヒー、ワイン、お菓子、料理、文学や音楽、その他もろもろ、私とゆかさんと2人合わせて10刀流、ぐらいのつもりでやっています。
私たちが魅了された2000年頃のカフェの雰囲気。お店をオープンしてから、現在に至るまで。あらゆるものに影響を受けてきました。加齢による価値観の変化ももちろんあります。今この歳になって、俯瞰的に振り返ってみれば、ある特定の時代の文化が特別優れているなんてことは全くなくて、むしろたいていのことはたいしたことはないし、なんなら負の側面もたくさんあったと思います。それでも、その文化のまっただなかを生きた世代にとっては、そこに価値観の根幹があって、それはそう簡単には譲ることができません。時勢を見極めたうえで、それでも逆行を選択すること。あの頃をそのまま現代でやろうとして、結果的に唯一無二になってしまう。唯一無二であることは誇りではなくて、どちらかといえば悲観です。
駒沢バワリーキッチン、渋谷アプレミディ、下北沢チクテカフェ、カフェ・オーディネール、いーはとーぼ。池ノ上ジ・アパートメント、澤口さんのリストランテ・アモーレ、谷さんのル・マンジュ・トゥー。パリのドゥ・マゴのギャルソン。リュクサンブール公園とサダハル・アオキ。ゲンスブールと煙草。セーヌ川とトレンチコート。アンリ・サルヴァドール。アキ・カウリスマキ。ゴダール『女は女である』、ウディ・アレン『ミッドナイト・イン・パリ』、ナイロン100℃『ノーアート・ノーライフ』。そしてボリス・ヴィアン『うたかたの日々』。天政、伊万里、ほていや。それらに感じてきた憧れと畏怖と嫉妬と劣等感を、そのまま全部伝えたいと思っています。
それが、nicolasというカフェです。12年やりました。まだカフェをやります。nicolasがカフェであり続けられているのは、みなさんのおかげです。お客さんのカフェへの郷愁のおかげで、カフェは存在することができます。本当に、ありがとうございます。

ルサンチマンを乗り越えて、かといって選民意識に呑みこまれず、nicolasをカフェたらしめているものを大切にして、文化と不健全を両立させて、憧れを超えていきたいと思います。あらためて、今後ともよろしくお願いいたします。

2061年、nicolas50周年のときには85歳か・・・。