わからない。

なぜ、本を読んだり映画を観たり音楽を聴いたり芝居を観たり、
美術館に行ったりおいしいものを食べに行ったりするのか。
楽しいから気持ちいいから、がいちばんの理由なのですが、
それらがわからなかったことを教えてくれるから、
というのもひとつの要因だと思っています。

わからないものがわかると、わかったことはひとつ増えますが、
それに付随して、知りもしなかったわからなかったこと、
というものが膨大に増えます。
ということは、わかればわかるほど、
わからないことがとんでもなく増えていくことになります。
つまりは、わかった、というのは、わかった気になる、ということ。
「自分はなにもわかってない」とわかること。
ここがまず、スタートだと思っています。

人になにかを伝えようとします。
よく言われることですが、
「わかってるやつは言わなくてもわかってる。
 わかってないやつは言ってもわからない」
たしか、立川談志さんの言葉だったと思います。
そうなると、なにも言えなくなってくる。
それでも、真摯に言葉を紡ごうとすることをやめない。
わかってる、と思ってた人が実はわかってなかった、
ということもあると思いますし、
自分の考えを絶対に変えない人、なんていうのは実は
そんなにいないと思っているので、
何かのタイミングで、今まで頑なに拒否していたものが、
すっ、と
受け入れられたりするものです。

ただ、自分の保身のために、
誰かを貶めるために、
なにかを伝えようとは思いません。
いや、正確に言えば、言ってやりたいと思いはします。
でも、言いたくない。
言ってしまうこともあるけど、できるだけ言いたくない。
それがきっと美意識というやつで、
他人から正確に理解してもらうための弁明
というものをするぐらいなら、
誤解されていても仕方ない、ぐらいに思っています。

だってきっと、
誰かのことを正確に理解するなんてことはありえない、
ということが、
「自分はなにもわかっていない」ということが、
わかってきた気がするからです。

人を信用するということは、
「あなたはわたしを裏切らない」
ではなくて、
「あなたがわたしを裏切っても、いいよ」
だと思ってます。