ジャンゴ 繋がれざる者。

クエンティン・タランティーノ監督「ジャンゴ 繋がれざる者」を観る。カフェの人にとっては「ジャンゴ」っていうと、やっぱりラインハルトになってしまう。仕方がない。

それは置いといて。改めて、レオナルド・ディカプリオという役者の凄さを思い知らされた。「ギルバート・グレイプ」を観て、「この人すごい!天才!」と思ったときと同じぐらい、今回のディカプリオは衝撃だった。「レオン」のゲイリー・オールドマン的なキレっぷり。「おお、あのヒョウロクダマみたいなロミオを演じた青年がこんなにキレキレの役者になって…」というような感慨。可愛かった神木くんが「桐島」でグミチョコのような前田を演じたときのような感慨。天才は何度でも輝くのだなあ。

パンフレットの町山智浩さんの解説を(加えて、町山さんのブログでの『國民の創生』論も)読むと、テーマの重さがよくわかる。奴隷制は日本人にとってリアリティーのあるテーマではないのだろうけど、目を背けている自国の黒歴史を見つめることが必要、という点は日本も同じ。これを語れるような知識を僕は持ち合わせていないので、それについては何も言えない。ただ、それを見せよう、教えようと奮闘してくれている作家さんや映画監督にはとても感謝している。

パンフレットのインタビューでキング・シュルツ役のクリストフ・ヴァルツが「クエンティンは自分が語りたいストーリーを語るためにジャンルを選び、そのジャンルが持つ要素をすべて使ううちに、そのジャンルではこれまでになかったようなレベルの高いことを達成してみせる」と言っている。更にそのジャンルのこと(=西部劇)を、ラジオの解説で町山さんが「あまりエラく思われていないもの」と言っている。この、「あまりエラく思われていないジャンルを用いて、何か本質的なものを表現する」という手法は、あれだ、「魔法少女まどか☆マギカ」だ。西部劇も、魔法少女モノも、あきらかに「あまりエラく思われていないもの」だ。

世の中で、「飲食業」というものは、まあきっとこの「あまりエラく思われていないもの」に含まれると思う。その飲食業の中でも更に、「カフェ」というものは、言うならば「もっともエラく思われていないもの」と言っても過言ではないのではないかと思う。映画界での西部劇、アニメ界での魔法少女、飲食界でのカフェ。そもそも日本のカフェ文化は、とってもマカロニ・ウェスタン(イタリア人が撮ったアメリカ西部劇)的なもの。この立ち位置、嫌いじゃない、むしろ好きだ。
ならば、カフェが持つ要素をすべて使ううちに、このジャンルではこれまでになかったようなレベルの高いことを達成してみせる、っていうのを、いつの日にかやってみたいとも思う。

タランティーノのように。