4.食の記憶
4.食の記憶
思い出せる記憶のなかでいちばん古い、食にまつわる記憶はなんだろうと思い返してみた。
まだ当たり前にたくさん雪が降っていた長野の冬、雪の中にみかんを埋めて凍らせて食べたこと。春、学校帰りのたんぼ道、のびろを引っこ抜いて囓りながら歩いたこと。秋、銀杏を拾って教室の石油ストーブで焼いて食べたこと。
家族で外食をした記憶がない。家でも、家族団欒の食卓という風景があまりなかった気がする。どこの家庭でもおそらく大なり小なりある、いろいろな事情によって、家族揃っての食卓というものがあまりなかったが、そのことをさみしく思ったりもしなかった。食に執着なんてまるでなかった。
それでも、ひとつだけ好きな食べ物があった。母が家族のお見舞いに行くのについていって、帰りにファミリーレストラン(長野には、あっぷるぐりむ、というファミリーレストランがあった)で、コーンポタージュを飲ませてもらったのがとても嬉しかった。コーンポタージュはとにかくおいしかった。
小学生のときは、好きな食べ物はケーキだと言っていた。その理由は、いま思えばたぶん、ケーキが好きだと言うことがかわいかったからだ。まだ時代は昭和、ケーキが好きだとか苺が好きだと言うことは、女の子の特権だった。その女の子的なかわいさが好きだったので、ケーキが好きだと言っていたんだろう。ケーキが好きなかわいい男の子と思われたくてキャラ設定していただけだと思う。ただ、母が音楽教師だったことでバイオリンを習わされていたが、そのことを「やーい、おんなー」とからかわれることはすごく嫌で、音楽はあまり好きではなかった。(当時は、男の子がピアノ等を習っていると、女みたいだとからかわれるのがわりとデフォルトだったと思う。)
歌うのは好きだった。アニメの主題歌の女性歌手の歌(斉藤由貴、飯島真理、うしろゆびさされ組etc)が大好きで、ああいうふうに歌いたいと思っていた。まだ声変わり前だった。
中学にあがってからも、食にはまったくこだわりがなかった。嫌いな食べ物はない。でも、ものすごく好きな食べ物もない。両親は共働きで、母がつくった料理をチンして一人で食べることが多かった気がするが、これも、そのことについてなにかを思うことすらなかった。部活帰りにみんなでヤマザキの惣菜パンを食べていた普通の中学生だった。
この頃の自分にとって、食べることは特別なことではなかった。特に好きも嫌いもなく、長野の桃やりんご、ふき味噌やニジマスを食べていた。ヤマザキのパンと同じように。だからたぶん、小さな頃から星付きのレストランへ行って食事をするのが普通だった、みたいなフードブロガーの人が「この味最高!」とか言っても、その方と私では味覚の記憶がまったく違うはずなので、それをどうとも思わないし、田舎の自然の力強い野菜本来の味、みたいなことを「自然(ナチュール)最高!」な方たちに言われても、そんなご大層なものでもないと思ってしまう。
高校は、犀川を渡って市街地の学校に通った。長野駅前にはいろいろな飲食店があり、そこではじめて食に少し興味を持ったように思う。というより、高校生になって初めて自分で食べるものを選択できる状況になったんだと思う。母から毎日お昼代を500円ぐらいもらい、そのお金を切り詰めて貯め、遊びに使った。自宅から学校まで自転車で一時間。自宅の周辺はほんとうに田舎で、飲食店と呼べるような店はほとんどなかった。
外食は、家族とするものではなく、友人とするものだった。
駅前のミスタードーナツにたむろして、コーヒーとたばことドーナツを覚えたが、味がどうこういうのではなくて(もちろんドーナツは好きだったけど)、友人とたむろするのがただただ楽しかった。分別をわきまえている程度のくせに、不良ぶることがかっこいいと思っていただけだと思う。
友人と何度も酒を飲みにも行ったが、いつでも、飲んだ量の倍吐いた。下戸というのが、体質的に治らないものだということは、大人になってから本を読んで知った。当時は、飲めば強くなる、訓練すれば強くなる、というのが定説だったので、どんなに吐いてもやっぱり飲みには行った。実質、吐きに行っていたようなものだけど。
高校3年あたりから、バイトを始めた。先輩がたまり場にしていたピザ屋のようなバーで、デリバリーのバイトをした。ピザの味がどうだったかは覚えていないが、そもそもあんまりピザってものを食べたことがなかったのでうまいと思っていたと思う。
バイトをしてると、県外に進学した先輩たちがときどき帰ってくる。そのときにいろいろな話をしてくれた。ちょうど、高校の選択授業で食物を選択していて、なんとなく食の進路を考えるようになった。それにしたって、調理実習をするようなかわいい男の子に思われたかったようなやつが、県外に出る口実として大学以外の進路を探していただけだ。
大阪に行った先輩が、調理師の学校だけじゃなくて、お菓子の専門の学校もあることを教えてくれた。もうそこしかないと思った。東京に、製菓学校があることを知り、そこに行くことに決めた。東京で一人暮らしをするためのお金を貯めるために、猛烈にバイトをした。
製菓学校に行くことを決めたときにはじめて、お菓子の本を買った。最初のページから順番につくった。クラスメイトの中で、私のつくったお菓子を喜んで食べてくれる友人がいて、彼に疑似恋愛をしたような設定を自分の中でつくり、バレンタインにチョコレートケーキを渡したりした。お菓子は自分の中の女性的な願望を埋めてくれた。
1995年に、製菓学校へ行くために上京した。この頃、まだパティシエなんて言葉は一般的ではなかった。そんなものになるつもりはまったくなかった。ケーキ屋さんになるつもりだった。
専門学校の授業の内容もほとんど覚えていない。技術は相対的にまあまああるほうだと思った気がする。(SNSなんてない時代だったから、圧倒的にすごい人を見て自信を喪失するようなこともなく、ばかみたいに根拠のない自信を持っていたと思う。)東京と女の子に夢中だった。お菓子は、上京するための口実以上のものには、まだこの時点ではなっていなかった。実習の助手の先生に「ミスタードーナツが好き」と言ったら「えー?あんなものを?」とバカにされたことは覚えている。悔しかった。
専門学校のクラスメイトの女の子たちに誘われて、ホテルのケーキバイキングにいっても、ケーキの味や美しさなんかより、東京で、女の子たちに誘われてホテルのケーキバイキングに行く、というエピソードのほうに完全に酔いしれていた。ケーキのことなんてなにも覚えていない。覚えているのは、アパートの最寄りの駅まで一緒に帰ってきたクラスの女の子を、自転車で二人乗りして彼女の家まで送ったことぐらい。(このクラスの女の子がゆかさんです。)
専門学校2年のとき、その当時の彼女(専門学校の後輩)に、吉祥寺のケーキ屋さんに連れて行ってもらった。たぶん、このとき、はじめて「ここのケーキ、今まで食べたのと違う、おいしい」と思った気がする。ここに就職しようと思った。茶髪でちゃらちゃら遊んでる気持ちのまま面接に行ったら、社長に「お前さんはもう少ししてからもう一度来い。そのときにまだうちでやりたいと思っていたら」と言われた。
卒業後、しばらく立川の駅ビルの喫茶店でバイトをしてから、髪を黒くして再面接にいった。このケーキ屋では一度辞めて戻ってというのも含めて4年働いた。
「お前さんは職人になるな」社長から言われたこの言葉を、ずっと覚えている。
ケーキ屋で働くようになってからも、ケーキそのものへの興味よりも、ケーキ屋で働いている自分がどう見えるか、ということのほうが本質だった気がする。
喫茶店には、ボブカットでかわいい店員さんがいる。漫画やテレビなんかを見ていて、勝手にそういうイメージがあった。その子になりたかったんだろうな。とにかく女の子っぽくなることに全力を尽くしていた気がする。そのためにケーキ屋を選んだんだから。
専門学校の同級生が、渋谷のカフェで働いていた。借りてきた猫のようになりながらカフェに行った。カフェでの振る舞いなんてものはまったくわからず、緊張していて、場違いな話を夢中でしていたような気がする。
カフェというところにゆかさんにたくさん連れて行ってもらった。おしゃれな人たちがたくさんいた。ゆかさんと行った下北沢のカフェで、隣の席のカップルがすごく自然に振る舞っていてかっこよくて、お店にも馴染んでいた。私はとてもダサくて、おしゃれになりたい、あのカップルみたいになりたいと思った。カフェの料理の味はおいしかったのかどうかわからないが、おしゃれだった。

2026/03/17 12:40 | Category:Nibiiro
