5.セガフレード・ザネッティ
5.セガフレード・ザネッティ
お店という場について語ろうと思ったとき、nicolasという場がどういう場なのかということを言葉にしようとすると、どう語ってもnicolasという場が持っている本来のものとずれてしまいます。店側が、場を言葉にして規定すると、必ずそこから零れ落ちるものがでてきます。店に限らず、実はなによりその零れ落ちるものにこそ本質があったりします。良い場を維持しようと思ったら、「場について語らないこと」が最も重要だとわたしは思っていますので、nicolasという場について語ることはしません。(店側が「ここはこういう場です」と名言しないことによってしか維持できない事柄というものがあります。)
そのかわりに、わたしがどんなお店(という場)を好んできたかについて、いくつか記していこうと思います。どんな飲食店の人でも、もともとは飲食店のお客さんですし、これからもずっとお客さんであり続けます。小説家の人だってずっとこの先も小説の読者でしょうし、映画監督だってこの先もずっと観客であり続けるでしょう。すべての表現者は観客であり続けます。自分がプレイヤーとして表現できるものと、オーディエンスとして好きなものとの乖離をどうするのか。そのためにはプレイヤーとして熟練していくことだけでなく、オーディエンスの自分の感覚を維持したり更新したりすることも必要だと思っていて、お店をするというのはそういうことだと思っています。
○セガフレード・ザネッティ

セガフレード・ザネッティ(正式名称はセガフレード・ザネッティ・エスプレッソ。以下セガフレード)は、関東を中心に20店舗ほど展開しているイタリアンバールのチェーン店です。イタリアンバールというのは、イタリアでのカフェの一形態で、例えば、朝さっとエスプレッソだけを飲んだり、午後カプチーノを飲みドルチェを食べながら友人とおしゃべりをしたり、夜ワインやビールとともに軽いアンティパストを食べたりといった使い方ができる、王道のスタイルのお店です。
わたしは、セガフレードにずっと通っていました。わたしが主に使っていたのは下北沢店と渋谷店(どちらも現在は閉店)で、ときどき中目黒店、二子玉川店(閉店)も使っていました。たぶん、すべてあわせて1000回以上セガフレードを訪れています。
・下北沢店
2000年代の前半、20代半ばの頃わたしは下北沢の一番街にあるカフェで働いていました。カフェ・オーディネールという名前のお店で、わたしのカフェ観の根幹にあるお店です。
カフェ・オーディネールの営業時間は12時~24時。わたしはキッチンで料理をつくっていました。
毎朝、開店前の時間で買い出しを済ませます。駅前のスーパーや輸入食材店、踏切横にあった八百屋などを回って12時までに店に戻りランチの準備をします。その買い出しの前に、下北沢にできたばかりのセガフレードに寄ってカプチーノを頼み、買い物のメモを見ながら今日回るルートや食材を決めていました。下北沢のセガフレードはほんとうにできたばかりだったので、店長の方がわたしにいろいろ話しかけてくれました。自分が近所のカフェで働いていることを伝えると、「どうしてカフェで働いているのに、毎日カフェにいらっしゃるんですか」といった感じのことを聞かれたことを覚えています。わたしは「オンオフは外でしたいんです」と答えたと記憶しています。(このオンオフを外で済ませてからお店の業務に入るというルーティンは、コロナ禍以降はもうときどきしかしていません。nicolasで事務作業をしたり、文章を書いたりする時間に充てています。ちなみにゆかさんは、仕事が終わったあとに必ずどこかに寄りたい人です。)
カフェ・オーディネールは2年ほどで辞め、その後はいろいろなお店を転々としましたが、下北沢で映画を観たりライブを観たりお芝居を観たり、そういったときの前に後に、セガフレードを使っていました。
2011年にnicolasがオープンして、再び下北沢での買い出しの日々に戻り、毎朝の日課が再びセガフレードに戻りました。あの頃から店長さん、店員さんは一新していましたが、ときどきヘルプで初代店長が店にいたりして、チェーン店とはいえむかしの自分を知っている人に会えるお店というのはうれしいものだな、と思いました。
下北沢のセガフレードは、場所柄、役者さんやミュージシャンの方もよく利用していました。毎日見かける役者さんがいて、毎日同じ格好をしていて、こういうのを伊達男って言うんだな、なんて思ったりしていました。nicolasでライブをしてくれたことがあるミュージシャンに偶然会うこともありました。
他にも毎日わたしと同じ時間帯に利用している常連さんがいて、犬を連れているなにかの社長であろうという方や、近所の喫茶店のマスターもときどき見かけましたし、店員さんといつもおしゃべりをしている方も何人かいました。
コロナ禍に入り、今まで店内で喫煙できていたのが外のテラス席になり、常連さんの顔ぶれも少し変わってきていたように思います。下北沢の駅前は再開発の真っ只中で、区画整理のためにここが閉店することを店員さんから聞きました。移転ではなくて閉店だということ。真っ先に、毎日ここをコミュニティスペースとして使っていた常連さんたちのことが頭に浮かびました。
日々会っていた名前も知らないあの人たちと、もう二度と会うことはないのかもしれないということ。奇跡のような偶然が毎日当たり前のように起こっていたこと。なくなったときにそれに初めて気づく、それがカフェという場だと、悲観的ではない感覚で強く思っています。
・渋谷店
渋谷店は、2005年頃渋谷の文化村「ル・シネマ」でバイトをしていたときに毎日通っていました。早番のときは朝出勤前に、遅番のときは仕事後にカプチーノを飲んで煙草を吸っていました。朝はイタリア人のバリスタがいて、彼の淹れるカプチーノがほんとうにおいしかったことを覚えています。
渋谷のセガフレードは3階建てで、初期は1階が喫煙フロアでした。1階のそのフロアには、道玄坂で仕事をしている夜のお仕事の方々、不良外人、渋谷で買い物をしてきた若い人たち、文化村でお芝居や映画を観るような文化水準の高いご婦人方、そしてわたしのような渋谷で働いている人、ありとあらゆる属性の人々が渾然一体となっていました。
このときにわたしが感じていたことは、「ここはわたしに最適化された場所ではない。ここにお邪魔させていただいている。だからこそ、それが少し心地いい」というような、アンビバレントな感覚でした。ホームではないけれどアウェイでもない。普通に生活していたら決して交わらない人たちと場を共にして、ときには少しコミュニケーションもする。20代後半だったわたしにとってはとても貴重な体験だったと今あらためて思います。それこそ、文化村マダムたちは煙草を「呑む」と言って、とてもかっこよく煙草を吸っていらっしゃいました。憧れましたよ。
映画館のバイトを辞めたあとも、下北沢店と同様に、渋谷での映画やお芝居の前後によく訪れました。後期は、喫煙フロアが3階になったことが大きかったと思うのですが、マルチ商法系の方たちがたむろするようになってしまって、少し残念でした。すべての人に開いた場というものは維持することはできない。必ずといっていいほどリソースにフリーライドする人たちが場を占拠する。理想は絵空事で現実をしっかりと見たと思っています。
この頃から、喫煙と非喫煙が、飲酒と非飲酒がきっちりとゾーニングされはじめたように思います。仕方のないこと、あるいはなんてことのない棲み分けだと思うでしょうか。わたしは、店という場においてこれがいちばん大きな分断だったと、今でも思っています。
2026/03/24 12:59 | Category:Nibiiro
